
常滑歴史探訪
常滑は中部国際空港で全国に名を知られることになりましたが、常滑は
六古窯の1っであり、中世から現代まで約1000年間、窯の火が絶えなかった焼き物の里、歴史の街でもあります。
常滑と云うとまず土管が有名です。土管は明治6年に常滑で開発されました。
常滑の土管は、明治政府の推進する鉄道整備で鉄道土管として採用されたことで、一躍有名となり、
文明開化のもと、上水道・下水道・用水路の整備が各地で進められる中で
常滑は年々生産量を拡大させ、以降、昭和40年代まで、
約100年の間、土管生産量「日本一」を誇ってきました。
又、常滑では中世から幕末までの約900年間、主に「甕」を生産し全国に出荷していました。
知多半島の丘陵地からは中世の窯跡が3000基以上見つかっています。
一方、日本の各地から常滑の甕の陶片が発掘され、
発掘箇所は、北は青森、南は九州の太平洋側の全県に跨り、実に1200箇所に上ります。
そうしたことから、常滑には800年間栄えた「甕王国」があったと云っても過言ではないと思います。
常滑市のほぼ中央の小高い丘の上に常滑城跡があります。
この丘に立ち西を望むと、青い鏡のような伊勢湾が見え、目を上げると鈴鹿連峰がすぐ近くに
見ることができます。鈴鹿の向こうは京都があります。
常滑から三重の白子経由で京都まで約100km、
名古屋から名神経由で京都まで約200km、ほぼ半分の距離です。
戦国時代の初期、ここに目を付け、常滑に城を築いた男がいました。
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