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覗き見の部屋/ヒグマ春夫

●インスタレーション 川崎市岡本太郎美術館 2004年2月27日〜4月11 「覗き見の部屋」
川崎市岡本太郎美術館
 
●インスタレーション 世田谷美術館市民ギャラリー 1995年 「I and You」
世田谷美術館市民ギャラリー
  
●インスタレーション ギャラリースペース21 「Transform of Duchanp」
ギャラリースペース21
ギャラリースペース21
   
●インスタレーション 佐倉市美術館 1996年7月20日〜8月4日 「I and You」
佐倉市美術館
  
●インスタレーション 杉並区立和泉中学校 イズミワクプロジェクト 1996年8月17日〜8月31日 「I and You」
 
●インスタレーション 横浜赤レンガ倉庫1号館 2003年9月13日〜15日 「覗き見の部屋・次元移動の 装置として」
 
●インスタレーション ギャラリー汲美 2004年1月26日〜31日
ギャラリー汲美

 フィラデルフィア美術館でデュシャンの「落ちる水、照明用ガスが与えられたとせよ」を観た。もう随分と時間は経っているのだが、気になりだしていることがある。それは、覗いている自分自身が、覗いている瞬間誰かに覗かれているという錯覚である。覗き見というのは極めて個人的なことなのだが、「覗き見が共有されようとする瞬間」に出会ったのである。
     
 1995年、世田谷美術館市民ギャラリーでグループ展があり、「I and You」という作品を出品した。この作品は、ドイツ制の大きなゴミ入れを使ったものであった。そのゴミ入れの中には、小さなモニターとモニターを拡大する。大きなレンズが設置してある。ゴミ入れの周りには、沢山の昆虫のイラストと都市の写真が35ミリのマウントに収められ片隅を白い糸で結び、あたかも昆虫が床を這い回っているかの様に100枚以上ちりばめてある。床のところどころには、2〜3センチに切り刻んだ藁がちりばめてある。わたしは、観客がどんな対応をするか遠くからじつと作品を眺めていた。ゴミ入れの蓋のところに直径2センチの穴があり、そこから沢山の観客が中を覗き込んでいた。「I and You」の様な中を覗いて観る作品は、佐倉市立美術館の企画展やIzumiwakuProjectの会場でも展示した。IzumiwakuProject のころは、ホームページやビデオ・カメラのリアルタイムの画像も組み込んだ。ビデオ・カメラの導入で、覗いている観客の頭を撮る様に設置し、その撮った像を床のモニターに写しだした。覗き見している観客は、その様子がモニターに映されているにもかかわらず自分の目で確かめることは出来ない。覗き見している人は、耐えずどこかで誰かに覗かれている。
   
 ギャラリー・スペース21に出品した覗き観の作品(1996年)は、「Transform of Duchanp」として展示した。
 このように覗き見の作品は、形態を変え至るところにインスタレーションした。
   
 1998年の夏には、三島町が主催する美術展「拡張する身体」に「のぞきみ」と題してインスタレーションした。この作品は、写真の瞬間的時間と映像の連続的時間の特性を生かした。
   
 2003年「覗き見の部屋・次元移動の装置として」を、横浜赤レンガ倉庫1号館で発表した。その時のテーマは、デュシャンの「アンフラマン」だった。デュシャンのアンフラマンスには、46のメモがある。それによると「アンフラマンス」は知覚のちょっとしたズレとして捉えることができるかも知れない。が、アンフラマンスをそう捉えたとたんに違った知覚があらわれ、違った知覚をすることになる。それが「アンフラマンス」ではないかと思う。
     
◎いくつかのメモ
*「ビロードのズボン・・・(歩いているときの)二本の足のこすれ合いでできる軽い口笛のような音は、音が示すアンフラマンスな分離である」(聴覚的なアンフラマンス)。
*「(非常に近いところで)銃の発射音と標的上の弾痕の出現との間にアンフラマン ス」な分離がある(聴覚的・視覚的アンフラマンス)
*「(人が立ったばかりの)座席のぬくもりはアンフラマンスである」(視覚的・触覚 的アンフラマンス)
*「タバコの煙りがそれを吐き出す口と同じように匂うとき、二つの匂いはアンフラマ ンスによって結ばれる」(嗅覚的アンフラマンス)
*「目はアンフラマンスな現象を固定する」
*「人が眼差しに差し出すもの[眼差しに差し出すために役立つものすべて(領域のす べて)と、大衆の冷たい眼差し(ちらっと見て、たちどころに忘れてしまう)との間の交換。ほとんどの場合、この交換はアンフラマンスな分離の価値をもつ(いうならば、あるものが賞賛され、見つめられることが多ければ多いほど、アンフラマンスな分離は少なくなる)」
*水や溶けた鉛、クリームといった液体を同じ形の容器に入れ、その容器を回したときの「容器の内壁との接触の差異---ふたつのものの接触?フ差異はアンフラマンである。」
*「アンフラマンスな分離/同じ鋳型/で型打ちされたふたつの形は、たがいにアンフラマンスの分離価だけ異なる。/すべての”同一物”は、?「かに同一であっても、(そして同一であればあるほど)、アンフラマンスのこの分離的差異に近づく」
*「(瓜ふたつといった)言語的な一般化を都合よく受け入れてしまうよりも、ふたつの”同一物”を分離するアンフラマンスな間隔をとおり抜けようと努めることのほうがいい」。
     
 アンフラマンスについて、いろんなひとの解釈を読んでみたのだが、アンフラマンスについての理解はできなかった。が、身体と映像を同居させた「覗き見の部屋・次元移動の装置として」のときは、言葉では理解できなかったアンフラマンスが解ったような気がした。
       
 その後、銀座のギャラリー汲美で「覗き見の部屋」を展示した。その延長線上で、2004年、川崎市岡本太郎美術館でも「覗き見の部屋」を展示した。(2003年制作)