3》バレテ峠

それまではあまり付き合いもなかったウハチさんが、たびたびわが家にやってくるようになりました。その頃うちに迷い込んで住みついた野良犬への差し入れが目的でした。 「この肉を犬にくれてやって」と言いながら、縁側に腰掛けてしばらく過ごすのです。

やがて自身の手でも肉を一切れづつ与えたりするので、犬の方もウハチさんにすっかりなついてしまいました。いつも生肉でしたし、上等の牛肉のこともありました。量も多く、パック詰めの生肉を一枚一枚犬にやっている、その光景はちょっと異常にも思えましたが、孤独な老人の心の中の問題とか、他にも何か特別な理由もあるような気がして、ただ、
「いつもありがとうございます」と言うだけにして、ウハチさんがくつろげるようにと、夫といっしょに横に腰掛けて過ごしていました。

日除けの白い帆布の下ではありましたが、ギラギラ太陽が反射している中で、3人並んで何時間も過ごしている光景は近所の人の目には奇異に映っていたかもしれません。

ウハチさんが戦争について話し始めたキッカケが何だったかはもう覚えていませんが、「バレテ峠」という地名がいちばん強烈なキーワードとして今も私の頭に残っています。

はじめはウハチさんは満州で編成された「戦車第2師団」に配属されたのでした。その後フィリピンに戦車が投入されることになったのでルソン島に向かいます

「バレテ峠」とは、フィリピン戦でもっとも激しく悲惨な結果をになった最後の戦場の名前でした。こういったことは、家の書棚に残されていた戦友会誌から知ったことなのです。

実は今の家は、ウハチさんの亡くなった5年後に売りにだされたもので、すぐに私たちが買い取って引っ越した家なです。ウハチさんの息子さんが事業に失敗してお金に困っているというし、こちらも借家住まいの不都合や不満が鬱積していたのでちょうどいいやと思ったですが、どこかでウハチさんの遺志を受け継いでいるような気持ちもあったのかもしれません。

家の中には、ウハチさんが死ぬ直前まで書き続けていた日記も押し入れの隅に残されていました。窓から見えるあの縁側を、あの当時のウハチさんの目の位置から眺めている毎日なのです。ふしぎな気持ちがします。