12》アオキ伍長

その日は縁側に座るなり、
「ゆうべは驚いたよ」と、話し始めたのです。
「山手線の電車に乗って座ってたら、すぐ前の吊り革につかまって戦友のアオキ伍長が立っていたんだ。思わず、『おまえいつ帰ってきたんだ?』と聞いたけど何も答えずに黙ったままなんだ。どうしたんだろう、おかしいな、と思ったところで目が覚めた。夢だったんだ。いやな汗をかいてたよ」

「『たしか彼はフィリピンで死んだはずだが・・・』、それでも寝ぼけた頭の記憶ちがいか、とも思えて、しばらく布団の上で横になったまま考えていたんだけど、はっきり確信が持てなくなっちゃってね。まだ真っ暗だったから電気を点けて、それから戦友会の名簿を引っぱり出して調べた。そしたら、ちゃんと死亡欄に名前がのってたよ。でもそれから何だか気持ちが悪くなって眠れなかった」

ウハチさんの話によく登場する人物のひとりがアオキ伍長でした。終戦の日まで同じ部隊で行動していた兵隊で、ウハチさんよりもずっと若かったようです。話の中ではいつも「アオキ君」と呼んでいました。

「アオキ伍長がやられた!」という情報が捕虜収容所の仲間うちの噂で伝わってきました。それでなくとも覚悟はしていたつもりでしたが、---アオキがやられたんだったら、すぐおれの番になるだろう---と思うと、それから急に落ち着かなくなってしまったそうです。
「首実検にかけられると、もうほとんど助かる見込みはないんだよ。現地人が証人として呼ばれていてね、『こいつがやった』って言えばそれで有罪が確定してしまう、顔なんか分かりっこないよ、みんな適当な罪名なんだから」

それは大変な恐怖でした。 戦争が終わったら立場は完全に逆転していました。現地の人たちから罵声を浴びせられながら収容所に向かったという記録はたくさん残されてもいます。
「アオキ伍長は最後までおれといっしょにいたんだから、おれは彼の行動を全部見てるんだ、現地人に何かしたのは一度も見てないよ。彼は何もしてないはずだよ」
でもそういう人が、自分より先に呼び出されて処刑されてしまい、今ここで自分は生き延びている、ウハチさんには、アオキ伍長への、同情というよりなにか後ろめたいような暗い気持ちが残っていたのかもしれません。

この山間の村でしずかにに暮らしているように見える老人にも、真夜中にびっしょりと汗をかいて目を覚まさせるような苦しい記憶があるのでした。