13》ゲリラ

「山の中のゲリラと戦ったこともあったんだよ」
「ゲリラって、現地の人でしょう?どうやってただの農民なんかと見分けつけるんですか?」
「ふだんは赤やピンクのシャツを着てふつうの恰好しているけどね、山の中で動き回ってはこっちの情報を調べて敵に知らせていたんだよ」アメリカ軍は上陸して日本軍と戦う前からフィリピンの現地人をゲリラとして訓練し、雇ってもいたのです。ゲリラ部隊が相当の数いたそうです。日本の軍隊はこの現地人のゲリラにずいぶん悩まされていたと聞いていました。

「山でゲリラに会ったら、どうするんですか?」思わずそう問いかけてしまった後で、すぐに後悔していました。聞いて良かったんだろうか?
会話をしている縁側には、日除けのための白い帆布が軒先から庭の方まで張り出してありましたが、その時間にはもう陽は傾いていました。しかしもっと傾いて山の陰に入ってしまう前に、日よけの帆布の脇から西日は濡れ縁に座るウハチさんの額を照らし、わたしたちの座っている座敷の奥にまで入り込んでいまだに容赦ない熱気を浴びせてくるのでした。じっとりとした暑さのなかで、わたしはウハチさんから返ってくる言葉を怖れていました。

ひざまずいている、半裸の姿、浅黒い肌の一人のフィリピン人、言葉は通じない。その人を囲んで、殺気立った兵隊たちがまわりに銃を構えて立っている。そのまま帰したら翌日にはそのゲリラの情報を元にして、自分たちの陣地に空爆や集中砲火が浴びせられるはずです。そうなることが分かっていれば、次にウハチさんたちがとった行動は?、、、戦争のルールからすれば、その場で捕虜にして部隊まで連れて行くべきなのです。

「撃ち殺したよ。戦争だもの仕方がないよ、、、、」 ウハチさんの答える口ぶりはいつものように坦々としていて、特に力を込めて、というのでもありませんでした。

その頃のルソン島の日本軍は、捕虜を収容するどころか、自分たちの食糧さえなくなり、負傷兵や病人で歩けないものはその場に放置されるしかなかったそうです、時には自決用の手榴弾を持たされもして。そんな軍隊の崩壊寸前の状態ですから、捕まえた捕虜を連行する場所も人員も食糧もなかったというのが実情だったのです。だからそんなことは、当時の戦争の現場では日常あちこちでくりかえされたことだったのかもしれません。

そのとき誰が実際に撃ったのか、誰がその決定をしたのかなど、その先はもう言うものじゃない、聞いてもいけない、そんな気がしました。もしかしたらウハチさんはそのことを話すタイミングをずっと考えていたのかもしれないと今では思えます。
「みんな頭が狂ってしまうんだ、気狂いだよ、誰でも戦争の中に入っちゃうと」と付け加えました。この『告白』に対してわたしも何か言わなくてはと思いました。でも何が言えたでしょう、
「そうでしょうね」と、かろうじて答えただけでした。

それからは気の抜けたような会話がしばらく続き、やがてじりじりとした熱さをもたらしていた夏の陽も西の山陰に落ちると、ようやく夕暮れの涼しい風が家の前の沢から吹き込んできました。
「またつまらない話をして時間をつぶさせちゃったね」と、笑みを浮かべながらゆったりとウハチさんは立ち上がるのでした。

その後ろ姿を見送ったあと、夫はしばらくして、
「アオキ伍長の夢は、これかもしれないね。ウハチさんは自分はまったく潔白だ、とは言い切れないわけだよね、戦争犯罪人を告発する『首実検』に対してさ」アオキ伍長が何もしていないとしたら、もしかしたら自分の身代わりになったのかもしれない、という思いがいまだにウハチさんのどこかに引っかかり続けているのではないかと言うのでした。