24》重見支隊

ウハチさんの話をここまで聞いてきて、やっと軍の組織の全体が見えてきたように思いました。
「ということは、ウハチさんたちの撃(げき)兵団は十四方面軍の指揮の下にあったわけで、そしたら司令部命令というのは、山下大将が出していたんですね」と、ずっと気になっていたことを聞いてみました。この無謀で凄惨な作戦計画は誰が立てたのだろうということなのです。
「でも司令部というところには参謀(さんぼう)たちがいるからね、作戦を立てる時に参謀の意見がずいぶん影響したんだってよ」と夫が言うと、ウハチさんもうなずきながら、
「そうさ、シゲミ支隊が玉砕(ぎょくさい)したのだって、山下大将のまわりにいた参謀が悪かったんだよ」
「シゲミシタイって?」
「シゲミ少将が『撃』から出向く形で『旭』に行ったんだよ、戦車第7連隊を引き連れてね。アメリカ軍がリンガエンから上陸したばかりの頃さ。でもね、他に行かされると必ず前面に出されて死ぬような目に遭うんだよ。あれが戦車部隊が負け始めた最初だね」

ウハチさんの口から出てくるこの「シゲミ」という音には何か特別の感情が込められていました。それが何なのかすぐには分かりませんでしたが、
「シゲミさんはね、戦車は歩兵部隊のいない夜間突撃作戦には向かないって反対したんだよ。それで司令部とぶつかっていたんだ」と、同情しているように見えました。

重見支隊のことは、どのルソン島の戦闘記録にも必ず書かれてあります。そこには未だに解決していない何かわだかまったものがあるようなのです。アメリカ軍とルソン島西海岸で対峙したこの初期の作戦では、山下大将の側近同士でもその戦略の是非をめぐってもめていたようです。
アメリカ軍のものすごい数の飛行機と大型のM4戦車に対して、全く空からの援護のない戦車隊です。しかも小さな八九式中戦車(ハチ車)では太刀打ちできるはずもなかったのです。 しかし司令部の思惑通りに攻撃に出ない重見少将にとうとう方面軍司令部への出頭命令が出てしまいます。これは命令違反の罪で支隊長を解任、さらに軍法会議にかけるということなのでした。

一方、司令部と重見支隊との暗号電文でのやりとりを聞いていた『撃』の師団長は重見少将の立場を察して支隊がもとの師団へ復帰できるよう願い出ていました。やがてその許可が下り、師団の方では大喜び、すぐ支隊にその旨の連絡をしたということです。

しかし支隊は特攻攻撃に出て部隊は全滅、先頭の戦車に乗り込んで突撃の指揮をとった重見少将は戦死してしまいました。 記録が錯綜していて、よく分からない部分もあるのですが、どうやらこの司令部からの出頭命令も、師団からの原隊復帰命令も、そのどちらもがシゲミ支隊には届いていなかったらしいのです。もともと夜間の戦車だけの突撃命令に反対していた重見少将が、なぜ突然全部の戦車を引き連れての玉砕攻撃に出たのかがけっきょくわかりません。
もしかしたら司令部からの出頭命令が届いていなくても、このままでは命令違反で軍法会議にかけられるのは間違いないと重見少将は思っていたかもしれません。地位も名誉もなくしてしまうのならばいっそ軍人として華々しく死んで行こう、という自殺的行為に向かったとも考えられます。または現場の作戦指導者として、周囲の状況からこれ以外の行動選択の余地はないと考えたのかもしれません。

ウハチさんの本棚には戦友会から出された記録や手記の他に、「ルソン戦記・ベンゲット道」(高木俊朗著)という分厚い本が残されていました。生き残った兵隊たちから取材して書かれたルポルタージュです。兵隊たちからは見えない部分、後方の司令部内の様子が特に細々とあばくように書いてありました。

上官命令で斬り込みに何度も行かされたウハチさんには、重見少将が司令部命令に最後まで抵抗しながらも、とうとう意を決して突撃して行った気持ちが良く分ったのだと思います。