25》イムガン川

「司令部はそのあとどこに行ったんですか?」
「ずっとバギオにあると思ってたんだけど、4月にはもうバンバンに移ってたんだね。最後はずっと北のキャンガンの山の中にあったらしいなあ」

司令部を守るためにバギオの周辺に配置されていた部隊にも知らされていなかったそうです。報告に行った兵隊が、そこに司令部がないのを見て驚いたという話が残っています。混乱と焦りの中で動いていた司令部の人たちの顔が浮かんできます。その頃は電話ケーブルもあちこちで寸断されていましたし、無線機も破壊されたり充電ができなかったりして使えない部隊も多かったのです。そんな状況の中では、どの部隊もお互いの連絡どころか、重要な司令部からの命令さえ受け取れなかったのでした。

サラクサク峠から撤退する時にも輜重隊だけは背中に食料や弾薬を担いで暗闇の中を下りました。
「おれたちは最後までまとまって行動したから良かったけどね、山の中に入ったっきり終戦まで出てこなかった部隊もあったんだよ」 と、本隊からはぐれて行動していた人たちのことを話してくれたのです。それは軍隊の秩序の崩壊のことでした。 生きて行くためには敵のものばかりでなく、死んだ日本兵や、ときには弱った仲間からものを強奪する兵隊もいたらしいのです。
「おっかなくて一人でなんかいれないよ。山ん中を歩いていると、突然2、3人でふらっと現れるんだよ。『どこの部隊だ?』って聞くんだけど、はっきり言わないんだよ」
「気持ち悪いですね。それ日本兵なんですか?」
「そうだよ。部隊から離れてしまって、どうやって生きているか分んない連中だよ」

兵隊たちは、もう雨期に入っていて水かさが増えているイムガン川を、胸まで浸かりながら30回以上も渡り返して北へ進んで行きました。生き残った兵隊にもマラリアや発熱で動けない人も多く、負傷した兵隊でも自分で歩けない人はそこに置き去りにするしかありませんでした。片足を無くした松葉杖の兵士が濁流の中を渡ろうとするので、部下に指示して支えさせたという記録も読みました。どの人も飢えと疲れで、自分の体をやっと動かしている状態だったのです。