26》本隊追求

「おれたちはね、アダチさんのいる元々の部隊に戻ろうと思って山越えしたんだよ」
アダチ中隊はサラクサクの戦闘で半分に分けられたままでした。ウハチさんのいた残留部隊はサラクサク峠の陣地への人力での荷揚げ部隊でしたが、アダチ隊長率いる部隊の方は軽戦車とキャタピラ式の輸送車やトラックを使った輸送任務についていたのです。
「アダチさんって、元々の上官だった人ですよね」
「やっと自分の部隊に合流できたときは嬉しかったなあ」
しかしその頃には、バレテ峠を越えてすぐ近くまでアメリカ軍の戦車隊が近づいていました。

6月4日の夜、アダチ中隊長は独自の判断で、ドバックスを引き上げることにしました。
「もうアリタオまでアメリカ軍が来てるって情報が入ったんだよ。8キロしか離れてないんだ。北に逃げるしかないよ」
イムガン川を下った撃兵団はサリナスでの戦闘準備に入っていたのでしたが、そこまでの輸送ルートが完全に分断されようとしていたのです。

「アダチ隊長がね、 おれたちの中隊だけで残っている食料と燃料をずっと北のキャンガンまで運ぼうというんだよ。アメリカ軍は毎日10キロづつこっちに近づいているのが着弾の仕方で分るから、のんびりしちゃあいられなかった」

軽戦車を先頭にして、その後ろからキャタピラ車1台、装甲車が1台、それから15台のトラックが続きます。兵員は90名ほどだったそうです。ライトをつけることはできませんから、暗闇のなかを砲撃で道路に穴が開いていないか確かめながらゆっくり進んで行きました。積み荷は、ドラム缶15本の燃料と食料でした。あとは無線機と発電機とバッテリーです。この時も、武器や弾薬よりも食料が最優先されていました。

全滅状態の中で分散して撤退した兵隊たちは、本隊に合流できずに彷徨っていた人も多かったのです。それでもなんとか大隊や司令部のある方へと手探りで北進して行きました。本隊に追い付きさえすれば何とかなると思っていたのです。食料が乏しくなった戦場で生き残るには、いつも大人数であることと、自分が今いる部隊が元々の所属部隊であることが何よりも安心なことだったのです。
戦場では、自分の部隊が故郷や家族の代わりだったように思えます。

6月に入ってバレテ峠を越えたアメリカ軍は国道5号線の道路を、その頃日本人がまだ知らなかったブルドーザーを使って拡張しながら、じりじりと北上して来ていたのでした。そのルート上にある村や町はゴーストタウンのようになってしまいました。ルソン島に移り住んでいた在留邦人の民間人さえもが日本軍の敗走(北進)といっしょに北部山岳地域へと逃げ出していたからです。