27》軽油エンジン

「軽油はけっこう残っていたんだけど、ガソリンが真っ先に足りなくなってね」
軽油を使うはずの戦車はすぐに壊滅しましたから、軽油の入ったドラム缶は山のように積まれたままだったそうです。しかし輸送用の車両はすべてガソリン車だったので軽油は使えません。しかもガソリンは輸送船の沈没でルソン島には当初から運び込む量が不足してもいたのでした。
「じゃあ、どうしていたんですか?」
「整備隊がガソリン車のエンジンを改造して軽油でも動くようにしたんだよ。
それからはずっと軽油とガソリンを混合したのを使っていたんだ」

バレテ峠がまだ突破されていなかった頃、そこから北西に30キロほどのジャングルの中では、兵器の製造や車両の修理や整備などが行われていました。兵隊の中にはいろいろな技術を持った人や職人や学者なども混じっていたのです。

戦場の限られた設備でやるのですから、何度も試作を繰り返して改良を重ねます。しかも使う材料探しも、昼間はアメリカ軍の飛行機が偵察して回っているので、夕方から集めて回ったそうです。

最初は薪を燃やして動く車も開発したそうですが、炉に使ったドラム缶がすぐにさびてしまって1ヶ月しかもたなかったそうです。ガソリンエンジンを軽油エンジンに改造するのには、シリンダーヘッドの内部に砲弾の薬莢を加工したものを埋め込みシリンダーの内圧を高くする工夫をしたのだそうです。さらに軽油の粘りをとるために温める必要があったので、燃料パイプを排気管の中を通したり巻き付けたりと、まさに手作りのエンジン工場です。
それでも始動するときは軽油だけでは無理で、ガソリンをキャブレターに直接注入してエンジンを回したそうです。

整備隊の手記を読むと、『前線の兵隊のことを思えば、20時間労働でも平気だった』とも書いてあります。
バレテ峠のすぐ近くで、異常な熱意と集中で働き続けている兵士たちがいました。この整備隊からも三分の一の兵員がサラクサクの戦闘にかり出されてそこで歩兵部隊に混じって戦闘し、やがて全滅しています。その死地に赴いて行った仲間たちのことを思い、作業にさらに身が入ったそうです。

他にも迫撃砲弾や手榴弾を自作したりなど危険な作業もありましたが、しかしそこでもすでに食べ物は乏しく、食料不足で体力が低下して病気になったり、製作中に火薬や燃料の取り扱い事故で吹き飛ばされる兵士もいたのでした。

100日も陥落しなかったバレテ峠とサラクサク峠の後ろには、輜重隊の必死の人力輸送と、兵器や車両を改良したり作ったりしていた整備隊の存在があったのです。しかしこの整備隊の工場も、6月1日には閉鎖されました。満州からずっと使い込んできた工具や設備を穴に埋めて、必要最低限の工具だけを持って出たそうです。