29》アンチポロへの山岳転進

『撃兵団』は、6月23日にサリナスを撤収して、翌日にはアンチポロへの転進を始めました。
「転進たって、もう敗走だよ」と、ウハチさんは言います。
「サリナスからアンチポロまで60キロもあるんだよ。道もなくて誰も歩いたことがないようなところをしかも2000メートル以上もあるような山の中なんだ。食料もなくて塩だけを持ってね」

サリナスで塩を分けてもらった部隊はまだ良かったのです。塩を持たないまま山岳地帯に踏み込んだ部隊はもっと悲惨でした。食料がすっかりなくなってからは、現地人の山岳民族が耕作した芋畑を荒らしては食いつないでいたそうです。

「そんなところまではアメリカ軍も攻めて来ないから久しぶりに戦闘のない毎日を過ごしたとは聞いてるけど、軍服だってボロボロだし靴も使えないほど破れているしで、みんなひどい格好だったんだよ。輜重隊だけは背中にまだ塩袋を背負っていて塩だけはあったから、それだけは良かったけどね。それでも食いもんがないんだからなあ、他の部隊が2週間で行ったところをひと月かかっているんだ。やっとの思いでアンチポロに着いたそうだよ。後から行くから、前通った人間に畑の芋も何もほとんど採られちゃっていて食えそうなものを探すのが大変だったんだ。病気や飢えで歩けなくなってしまった兵隊はみんな死んでいったよ」

「ウハチさんたちは、その頃どこにいたんですか?」
「おれたちアダチ中隊はもうキャンガンにいたよ。ドバックスから10日もかかったけどね」
「じゃあ先回りして、輜重隊の本隊の到着を待っていたんですね」
「中隊長はそのつもりだったのだろうけど、キャンガンに着いたらすぐに軍司令部づきになってその下で動くことになってしまったんだ。倉庫に積まれた1000俵もの塩を山奥まで運んだりしていて、なかなか本隊に戻れなくなってたんだよ」

またもや軍の命令系統の複雑さに、話がすぐには理解できませんでした。『撃』へのアンチポロ転進命令の目的は、ルソン島日本軍としての最後の砦を守るための布陣だったようです。軍司令部は自分たちの生き残りをかけてキャンガンからさらに山奥に入って行きました。そこは最初に軍司令部があったバギオからもよく見えていた、2500メートルもの高い峰が続くブログ山の深い谷間でした。

終戦の日まであとわずか一月半という時期です。