30》イゴロット族

その日ウハチさんは写真を持ってやってきました。いつものように縁側に腰掛けると、
「これが戦友会でフィリピンへ慰霊に行った時の写真だよ」5、6人ほどの老人がジープの側に立っている写真でした。
今はもうすっかり老人になった人たちの中に、たしかにウハチさんの姿があります。
南国の太陽がまぶしいのか、目をしかめて真面目な顔をして写っています。

「山の中にはゲリラが住んでいるから、戦友会で山奥の部落に行く時には政府軍から車を出してもらってるんだよ」
「向こうから攻撃してくるんですか?」
「そうだよ、やつらは今でも銃を持っているからね,道の脇のジャングルから急に撃ってくることがあるんだ。だからジープにはフィリピン軍の兵隊が必ずふたり付いて来て、一人は後ろで銃を構えて立っているよ」
そこまで聞いて、
「フィリピンって、まだそんなに未開なところがあるんですね」と驚いたのですが、後になって記録や手記を読んでみると、そうとばかりは言えないことが分ってもきました。ウハチさんがゲリラと呼んでいたのは、ルソン島の北部山岳地帯に住んでいるイゴロット族だったのです。

『撃兵団』が前人未踏の山岳地帯を越えてやっとたどり着いたアンチポロにも、イゴロット族の集落がありました。ちょうどその頃が稲の収穫期で、美しい棚田には黄金の稲穂が美しく実っていたそうです。飢えている兵隊たちは、田んぼに駆け寄りました。次々に稲穂をちぎっては、そのまま口に入れて食べたそうです。

戦後に書かれた手記には、生き延びた兵隊のその時の喜びが生き生きと書かれてもありました。それまでは雑草を食べたり、犬を食べたり、猪を見つけて撃って食べたりもしていたのです。中には、
「イゴロット族の水牛を撃ち殺して食った」という部隊もありました。

「戦友会ではね、毎年ルソン島の僻地の小学校にオルガンを贈っているんだよ。足踏みの昔のオルガンなんだ。山奥だから電気オルガンじゃ使えないからね。でもこの頃はなかなかそういうオルガンが手に入らなくってね、今楽器会社でも探してくれているんだよ」と、戦友会の最近の活動を話してくれるのです。

鉛筆やノートをたくさん持って山奥の小学校に来た日本の老人たちを、アメリカ人の宣教師の先生と子ども達がうれしそうに取り囲んでいる様子を想像してみるのです。