31》ラムット川仮橋の渋滞

サリナスの戦闘の前夜に、北部のキャンガンに向けて車で出発したウハチさんの部隊も危機的な状態からの脱出を繰り返していました。ドバックスからキャンガンまでは60キロほどなのですが、10日もかかっているのですから。

昼間はアメリカ軍機に見つからないように対空遮蔽(たいくうしゃへい)して、樹林の中でじっと夜を待ちます。木の下に戦車やトラックを突っ込んで、枝や葉っぱで車を完全に覆い隠すのです。かなり低空飛行をして偵察するアメリカ軍機に対して、道に残ったタイヤの跡を消しておくことも大事なことでした。これをやらなかったために、隠れていたところを空からめくら撃ちされた他の部隊の車両があったのです。ウハチさんが、
「隊長が良いと生き残れるけど、ひどい隊長につくと殺されちゃうよ」と言っていたのはこういうこともあるのかと思いました。

ライトも点けずにまっ暗な国道5号を北上して行くのです。やっと4号線にさしかかりラムット川の手前までたどり着いたところで、突如深夜の渋滞です。撤退する部隊のトラックが何十台も停まっているその脇には、避難する在留邦人の荷物を積んだ荷車がぎっしり集まっていて身動きができないほどなのでした。

ラムット川には枕木を敷き詰めて作った急ごしらえの橋がありましたが、幅は狭いうえに無灯火で足元が見えないので脱輪してしまう車が続出していたのです。しかも橋の手前の道はぬかるんでスリップして動かなくなった車もありました。この退却路のネックに人も車も集中して来ているのに、何の対策もされていない無秩序な状態だったそうです。もうすぐ後ろの15キロの地点までアメリカ軍が迫っているので、だれもが皆焦っていました。

歩いて逃げている兵士たちに混じって、病気の人や子ども連れの女性の避難民もたくさんいました。みんな手にはタイヤを細く切ったものを持って、火を灯しながら行き場もなくオロオロとしているのでした。しかしその光景を遠くから眺めると、ちらちらと揺れる小さな火の行列がまるで夜の村祭りのようだったそうです。脱輪した車をジャッキアップしたり、泥道でスリップしている車を押したりしているうちに夜が明けてしまいました。

空が明るくなった途端、道にも橋の上にも誰もいなくなりました。アメリカ軍機を恐れてジャングルの中に逃げ込んでしまったからです。しかしアダチ隊長は前進の命令をしました。
「夜明けから7時までの1時間は、作戦当初の経験により、敵の飛行機は飛ばず砲弾も撃ってこないひと時である」ということを知っていたからでした。

橋を渡り終えたころから雨が降り出し、やがて豪雨になってしまいました。その日のうちに橋は流されて、アダチ中隊がラムット川を渡った最後の部隊になりました。