39》アメリカ軍の捕虜になった日

ウハチさんたちの輜重隊が山を下りたのは9月15日のことです。
「それまで1ヶ月もアンチポロで何をしていたんですか?」
「ただ食いつないでいただけだけどね、まだ輸送任務もあったんだよ。3RHに物資を受け取りに行ったりもしたしね。山道を登って行く途中で偶然に方面軍司令部の参謀たちに会ったよ。アメリカ軍に投降するために山を下りているところだった」
「その中に山下大将もいたんですか?」
「いや、山下だけは1日早く下山したそうだよ」
山下奉文の8月31日の投降で、ルソン島の戦闘は完全に終わったことになりました。

その同じ日に南アンチポロでは、撃兵団の合同慰霊祭が行われていました。輜重隊からは石田輜重隊長と山田大尉が代表で参列しています。
ルソン島上陸からわずか8ヶ月の間に82パーセントもの戦死者を出した撃兵団なのです。生き残った人たちの祈りは悲痛だったでしょう。

投降に備えて兵隊たちがまず何をやったかと言うと、銃身にはめ込まれていた菊の紋章を削り落とす作業です。
それは、天皇の印としての紋章を決して敵の手に渡して汚されてはいけないということのようです。今の時代の私たちからすれば実感を持って想像することができないものですが、日本の軍人として何よりも大事なものがそこにはあったのでした。

ウハチさんも紋章を削ったはずですが、夏の縁側での話題の中では、天皇に直接触れるようなことはありませんでした。ウハチさんは、いつもどこか話しの仕方に用心深さがあったように思います。それは時代や状況があまりにも違う私たちに、自分のほんとうの気持ちを語ることで、誤解されたり不仲になることを怖れてのことかと思っていましたが、今思えば、ウハチさんの気持ちにもいまだ揺れ動いて定まらない部分があったのかもしれません。

アンチポロはずいぶん山奥でしたので、武装解除を受けることになっているイブン小学校というところまでは、途中の山中で1泊しなければなりませんでした。次の日の夕方に到着した小学校の校庭では、日本軍の小銃がまるで鉄くずのように山積みされていきました。部隊もバラバラにされて、互いに全く知らない人同士のグループに分けられました。日本軍の組織を完全に解体するわけです。

それからウハチさんたちはトレーラートラックの荷台に乗せられ、その夜のうちにソラノのアメリカ軍仮収容所に運ばれたのです。小さなテントが立ち並ぶ収容所では、捕虜としての最初の食事の缶詰が配られました。