46》東電

1952年にGHQの日本駐留が終わると再び東電の社員になりました。
「すっかり会社のトップと顔見知りになったからね、東電に戻ってからもいろいろと有利なこともあったんだよ」と、社内での処遇が良かったことを話してくれました。しかし同僚たちからはかなり嫉妬されたようです。

「おれが行くとシーンとなるんだ。空気が冷たくなるのが分るくらいだったよ」それでも平然としていられたのは、子供の頃から村のガキ大将で跳ねっ返りの嫌われ者で鍛えられていたからです。ルソン島での激しい戦闘と飢餓、アメリカ軍属になってまで生き抜いた気概と孤独が、ウハチさんの彫りの深い顔をさらに厳しく見せていました。

面白い発明もしています。
当時はしょっちゅう停電が起きていました。過度な電流が流れると線がショートしてしまったからです。電圧を一定に保つための変電所も人がいつもメーターを見張っていたのです。
そこでウハチさんは、停電が起こらないようにするための電柱に取り付ける自動スイッチを考えたのです。
子供のおもちゃのペリカン人形はシーソーになっていて、お尻のところのガラス管の中の水が揮発して軽くなると頭部の方へ傾くように出来ています。カタンと傾いて嘴をコップの水に突っ込む姿がユーモラスに見えます。この原理を電圧の可変装置に応用できないかという発想でした。
ガラス管に水銀を封入してシーソーのようにバランスを保たせました。片方をアルコールランプであぶると、カタッと傾きます。実験を繰り返しデータを揃えて東電に提出、それがさらに精度をあげ実用化されました。
「すごいなあ、それ特許とったんですか?」
「いや会社員だからそうはいかないよ。でも感謝状とボーナスは貰った」
その実験に使ったと思われる水銀の入った瓶がこの家に残されていました。紙に包まれてずっしり重い液体です。

ダムや発電所や変電所の建設を手がけたウハチさんの仕事場はだんだん山間の方へと動いて行きました。
「この辺りだってほんの一昔前までは電気が来てなかったんだよ。西武鉄道もこの吾野駅が終点だったんだからね。まず電気を通してからやっと秩父まで電車が開通したのさ」
ルソン島のジャングルの中を武器や弾薬や食料を背中に背負って動き回った人が、その後も電気を通す仕事で山の中を動き回る仕事をしたのです。

目の前に広がる山並みを眺めるウハチさんの顔は、もう話の核心は語り終えて穏やかでした。日よけの帆布を引っ張っているヒモにトンボがとまっています。日差しが斜めになって来ると、秋が急速にやってくるのが山里なのです。