48》信仰

ルソン島で死んで行った仲間のことをずっと想い続けてきたウハチさんには、靖国神社が軽んじられているような世間の風潮が不満でならなかったようです。はっきりと首相も、天皇さえも詣でるべきだと言います。それを黙って聞いていました。死線を超えて来た人と議論をするほどの覚悟は私にはありません。

縁側から見えるウハチさんの家の白壁に西日が当たって眩しく光っています。山にすっかり日が沈んでからは壁がだんだん青白く見えてきました。
「あんたたちが隣に来てからずいぶん風通しが良くなったよ」と言われたことがあります。それは私たちに対する好意を言葉にしただけではなく、自分の孤立感や状況の苦しさをも伝えているようでした。あんなに過酷な戦場から生還した人ならもう何も恐いものは無いように思えるのに、この谷間の小さなコミュニティーにうまくとけ込めなくて、ずいぶんと気苦労があったようなのです。

特に深い信仰があるように見えなかったウハチさんが宗教について反発心をむき出しにして話したことがあります。
「自分の祈り方を他人に押し付けるのはおかしいよ。仏壇に拝むときにはその家のやり方に従えば良いんだ。それを一々咎めたりして、変なことを言うヤツがいるもんだ。あんなのは自分が何を拝んでいるのか分っちゃいないんだ。一升瓶に取っ替えたって分りゃしないよ。同じように拝むんだぜ」と、吐き捨てるように言うのでした。どこかでそういう人を目の当たりにして不愉快を感じたのでしょう。

日本に帰ってからも近くの教会に出かけることがあったようです。この家の本棚に聖書と聖歌集が残されていました。ページの間から小さな紙切れが数枚出てきました。教会でお互いにメモを交換して意見を伝えあったようです。
中に一枚ウハチさんの筆跡のがあって、
「私にはどうしても教会に入れない事情があるのです」と書かれていました。

そのことだったら私にも察しがつきます。おそらくこの家が建っている土地にまつわる事情でしょう。東電の変電所と社宅があった土地をそのまま引き継いだウハチさんは、地主であるお寺との繋がりを大事にしていました。庭に小さなロウソク工場を建てて老後の蓄えを作ろうと奥さんと働いた土地でもあるのです。その奥さんに先立たれてからは、お寺の霊園にお墓を立て菩提寺になったお寺なのでした。

世間的にはすっかり引退したはずのウハチさんは、他所の家にお茶ひとつ呼ばれるにも気をつかっていました。あらぬ噂が立たないように用心して、夕暮れの風が肌寒くなっても縁側より奥には決して入らないのでした。そういう人でしたから、ハワイにいた時には教会に出かけ、この山間の村で暮らすようになってからはお寺の行事に招かれれば必ず出席していました。