towan
  

 11年飼っていた犬が死んでしまった後、新たにわが家にやって来た子犬を「トワン」と呼ぶことにした。その名前は、ぼくの父がむかし軍隊に行っていた頃インドネシアで飼っていた一匹のドイツシェパードに由来する。

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 父がその犬と会ったのは、日本軍が勝ち戦でずんずん東南アジアに進出していた頃のこと。現地ではそれ以前にいた外国人が逃げてしまったか死んでしまったかして、当地で置き去りにされていたということらしい。
 軍が置いていったなら軍用犬だったのだろうか。それとも軍人の一家がただペットとして飼っていたものだろうか。それは分からない。父から聞き逃したのか聞いたのを忘れたのか。

 もともと父は犬好きのだったのでその犬を飼おうと思った。それで知っていそうな現地の使用人に犬の名前を尋ねた。すると、やたらに「とわん、とわん」という言葉が出て来るので、インドネシア語を知らない父は、てっきりそれがその犬の名前だと思い込み、そう呼ぶことにした。

 しかし実は、「トワン」とは現地語で「ダンナ様」ということだったのだ。英語だったら「sir」にあたるような意味の尊敬語なのだろう。それでおかしなことになってしまった。普通は飼っている人間の方がご主人様のはずが、飼われている犬がしじゅう「ダンナ様」と呼ばれる訳だから。現地の人たちはずいぶん妙な顔をしていたと、皮肉やウィットの好きな父は愉快そうに半分得意げに話してくれた。どこにでも連れて行き、ずいぶん可愛がっていたらしい。

 しかしそんな可愛い犬とも別れなければならない時が来たのだ。戦争に負けてしまえば、日本の軍兵が現地にいられる訳がない。今思えば、あの戦争で日本はいつまで勝ち続けるつもりだったのだろう。父たちはいつまで東南アジアにいられるつもりだったのだろう。戦争やそれにまつわることについては、色んなことを父に尋ねたけれども、それについては聞いたことがない。

 敗戦で捕虜になった父たちは、日本行きの船が出る港まで貨車にすしづめになって護送されて行った。ゆっくりと走って行く列車のその横を、並んで鳴きながら走って追いかけて来る1匹のシェパードがいたそうだ。その犬が「とわん」と分っていたので、父は黙って陰から見て別れの涙をひそかに流していたということだ。ところがいつまでも追いかけて来るのを見て、護送の軍隊の指揮官が列車を停めさせたということだ。その指揮官もまた犬好きだったのかも知れない。するとすぐに犬は貨車に飛び乗って捕虜の中を捜しまわり、ついに集団の中に隠れるようにしていた父を見つけると、喜んで飛びついて来たということだ。
 でも日本まで連れていける訳もない。護送列車に特別に乗せてもらったものの、港で岩壁に取り残され右往左往しながら鳴き止まない犬を、父は涙で霞んだ目でじっと見ているしかなかったということだ。

 日本に帰り着くと、その犬のことが忘れられずすぐに父は犬を飼った。同じドイツシェパード。名前も「トワン」に。きっと父はその犬を可愛がりながら、その姿に南方の島に残して行ったあの犬のことを重ねて見ていたのだろうな、とぼくは思う。

 この「トワン」はぼくが小さい頃まだ生きていたはずなのだが、はっきりと覚えていない。写真を見た記憶がある。和服の人の膝に両手をかけて立ち上がっているスタイルで映っていて、それは確かに背中の黒いシェパード種だった。その犬もきっと良い犬だったのだろう。それが死んで次に家に迷い込んだ犬を飼うことになった時、その犬にも「トワン」と父は名付けた。要するにわが家の犬は全部「トワン」だと決めてしまったのだろう。

 そのオス犬もぼくが小学生の時に死んでしまっている。その頃は犬も具合が悪くなっていたのか、ぼくは朝起きると「トワンは?」と聞き、学校から帰るとまた「トワンは?」と母に聞いてばかりいた。ある日学校から帰ると「トワンは死んだよ」と母から聞かされた。餌を持って行ってもいつもいる納屋の縁の下から出て来ないので、もぐってみると伏せのポーズをしたままもう既に少し硬直していたのだそうだ。それでその前脚をつかんで狭い所から引きずり出さねばならなかったから大変だったと聞かされた。生きている時は力も強く、子どものぼくでは散歩にも連れて行けないような少し乱暴な犬ではあったが、それでも悲しかった。その後は家では犬を飼っていない。

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 ぼくら夫婦にとっては二匹めの犬。その名前を考え始めた時、そんな昔の思い出がにわかに甦ったのだった。

(この項おわり)

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